村田基(むらた はじめ)さんは、日本のプロ釣り師であり、YouTuberでもある人物でシマノやデュオなどの釣具メーカーのフィールドテスターとしても知られています。
「世界一忙しい釣具屋のオヤジ」とも呼ばれていて、年間100回以上飛行機を使い国内外を飛び回ることでも有名です。
テレビのロケやセミナー、釣具店の運営などをこなす中で、釣り具メーカーとしても活動しており、アメリカ車のファンでもあります!
今回はそんな村田さんの若い頃の様子や、なぜか「老害」と言われているワケまでを調査してみました!
村田基の若い頃は?
1958年1月14日に生まれた村田基さんは神奈川県川崎市の出身で、
現在は茨城県潮来市に在住しています。
実家は釣具店を経営しており、釣り好きのお父さんの影響で早くから釣りに
慣れ親しんでいました。
3歳で釣りを始め、12歳になった頃にはルアーフィッシング、
15歳になると海釣りやバスフィッシングにも挑戦するようになります。
次第に釣り業界が村田さんを注目するようになり、
どんどん釣りメディアにも進出するようになりました。
1978年、当時20歳で釣り雑誌『つり人』のライターとして記事の執筆を開始。
1984年にルアーメーカー「ウォーターランドインターナショナル」を立ち上げます。
1985年に大手釣具メーカーシマノの商品の開発・テストなどを行うアドバイザーに就任。
などなど、20代のキャリアを見るだけでも村田さんのすごさが伝わってきますね!

村田基さんは、バスフィッシングのブームに火を付けた立役者です。
15歳でバスフィッシングを経験してから、その本質を求めるべく、渡米を繰り返して腕を磨いていきました。
やがて「世界の村田基」として認知されるようになると、プロバサー(プロのバス釣り師)の域を超えた独自の活動を行っていきます。
自身がビッグサイズのブラックバスを釣り上げるシーンを撮影して、それを地上波のテレビやビデオで普及させることによって、多くの人々を引き込みました。
また、このやり方を大胆に実践したことで、その後の釣り番組や動画の作成方法にも大きな影響を与えたと言われています。
村田さんの若い頃のビジュアルが気になったのは私だけではないかもしれませんね。

出典:【村田基】1996年ウォーターランドカタログ写真、何かがおかしい(高画質化)【切り抜き】
面影はありますね。
爽やかな好青年といった印象です!
村田基が老害と言われているのはなぜ?
前述のように村田さんは日本の有名な釣りの達人であり、釣り界の影響力のある人物です。
しかし、最近では一部の人々から「老害」と呼ばれることもあります。
これは、彼の行動や発言が若い世代との対立を引き起こしているためだそうです・・・
特にYouTubeやSNSの影響力が増す中で、自分の釣りのスタイルや哲学を押し通し、新しい時代の変化に対して否定的な姿勢を見せていることが批判されていることが原因のようです。
この動画では、村田基さんがトーナメントでの釣りについて語り、
自分達が行う釣り方法とは異なる点を指摘しています。
彼は、釣りの世界におけるプロの技術や知識の違いを強調し、
特にトーナメントの参加者のスキルに関して「一言もの申す」のような感じで
アマチュアとの違いを熱弁しています。
例えば、彼が大手メーカーやショップに対して批判的な発言をしたり、他
の釣り人のスタイルを受け入れなかったりした点が、老害的と捉えられています。
他の釣り関係者の意見には賛否が分かれているそうです。
一部の人は 、 村田基さんの言動を「老害」として批判していますが 、
他の人は彼の意見や行動には一理あると考えているようです 。
例えば 、 村田基さんが自分のルールやスタイルに固執していることを
否定的に捉える人もいれば 、 その姿勢を尊重する声、さまざまあるようですね!
まとめ
若い頃は様々な活動で大活躍されていた村田さんですが、最近の機械システムを使ったやり方には反対されていることが「老害」と言われている由縁なようです。
ですが、古参プロとしてこれからも若い釣り人を牽引していってほしいですね!